白釉大皿( イタリア 18世紀 )

四彩の手慣れた文様が額( ひたい )からぶら下がるような恰好で絵付けされたもので、絵と余白とのバランスによって肌の美しさの利いた素晴らしい西欧陶器の大皿に出合えました。

資料にあるように、マジョリカ陶器には"貴族の紋章"を付した食器一式が博物館のコレクションとして収蔵されており、紋章は注文品に見られる特徴のひとつとしても記載されています。余り詳しい分野ではありませんが、本品もそのような類のものでしょうか。フレンチ・ファイアンスとの区別が難しいのですが、絵様が"余分なもの"としてでなく巧く効果を発揮しているものの好例かと思っています。

おおらかな丸形の器体にフラットとは云いにくい底面があり、ややガタつきがあります。歪みを伴った正円から楕円の麦わら帽型、浅いニュウが十時の方向より見られますが、実用に差し支えなく、長くお役立ていただける器かと思います。

白釉大皿 ( イタリア 18世紀 )径 35.8 cm – 高 5.6 cm / 御売約

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石製印

クロライト( 緑泥石 )製と思われる紐孔付き印章で、古代から多くの面でなんら変わるところのない親しみのある形の石製印です。

底面の文字はアラビックの様で、随分苦心しながら上下の向きこそ検討がついた気がしたものの解読までは至っておりません。中央アジア・バクトリア地方の石製印かと空しく掌のうちで転がせているばかりですが、出土に伴うパティナの質感や、小さくて存在の認めにくい細やかな研磨が様々な面にわたっている形など、小さいながらに存在感を発揮した好ましい発掘小品かと思います。

石製印 ( バクトリア )高 2 cm / 御売約

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青釉扁壺

イランのスーサで出土した同型の遺物の資料を拾い読みしたところに拠れば"携行用の水筒"とされるパルティアの施釉壺で、掌の端で平らに伸ばしたような扁壺に双耳のついたフラスコ形状の提瓶です。

7世紀以降のペルシャ陶器を想起させる釉色ながらパルティアに独特の器形なのでしょうか。時代の下がる出土遺例に同形の物は見つけられず、図録に見られる緑釉や青釉の扁壺との相違点を探っていました。青釉の釉色の上に出土に伴なう銀化を顕したもので、掌に収まりそうな控えめな大きさの輪郭の内側に独特な色が粧飾されています。

"破損が普通の状態"とされるように、器表に斑点状の滲みのように見えるのは共色による補修痕です。両面に複数見られますが目を凝らしても補修であるのか一見判らないほど自然に直されており、美観を保っているのは好所かと思います。

自立不可、水漏れ未確認のため花器とする場合は落しをお使い下さい。

青釉扁壺 / 御売約
径 8.7 cm – 高 10.5 cm
パルティア / アルサケス朝
紀元 1 – 3 世紀頃

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香箸

薄く削った竹材と象牙を格子状に貼り合わせた市松模様の柄で、隅に小さく朱字の銘でも印されていそうな香箸です。

鞘のような箸留めにきちりと収まる作りの良さは指物の技法によるものと考えられそうで、本来お香の火箸として用いられたもののようですが、東福寺の庭園で水菓子を戴きたいような、夏の涼みに役立てたくなる菓子箸の役割など担えそうな趣きがあります。

桐箱に収めると大仰な感じがするのが余り好きではないのですが、分からないままに尊重するよりかは使い途をそれぞれで立てればよいものと思います。そのような事を考えていて共箱を撮り忘れてしまいました。ご容赦ください。

香箸 / 御売約
大正期以降
20 cm
共箱

特定国際種事業許可番号( 象牙製品取扱い )00764

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黒漆三脚盤

根来の脚付盤と共通性の見られる円型の木台で、仏教美術との相性もよいのではと小像など飾ってみたくなった小盤です。盤面上層の黒漆の下には朱漆が僅かながら覗いており、用法は不明ながら寺院で用いられた小さな盤と捉えています。

一木造りで、轆轤で挽いた脚の上に帽子のつばのように張り出した盤があり、盤口縁部は鑿などの道具を使い手仕事で削り落とされています。おおよそ正円形であり、やや楕円形とも云える形でしょうか。味の良い台でもこのように建ちの低い円形のものはなく、朝鮮の餅台に似た素朴さもあり、酒器など持ち出して用いるよりも、やはり飾り台として見立てる方が合う物ではないかと思います。

脚の一部に亀裂が入っており、特に補修も施されていませんが、そのままでも差し支えない程度のものかと思います。

黒漆三脚盤( 江戸時代 )径 18 〜 19 cm – 高 5.3 cm / 御売約

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十二角膳

十二角と云いながらも円形を基調とした角のとれたお膳で、忠州地方の小盤から天板のみを取り外し、お盆に置き替えた朝鮮の木工品です。

ソウルで買い付けたお盆もいよいよこちらを含めて僅か二枚となりました。反りはあまり感じられませんが、天板ゆえ若干のがたつきを伴います。

十二角膳( 李朝時代後期 )径 42.5 cm / 御売約

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伽耶丸底形土器

丸底壺では糸底の付けてある自立可能な形で、《 坩( かん )》と呼ばれる溶融合成のための形状容器です。

旧稿《 水晶切子玉と赤瑪瑙管玉 》に遡上すると、ソウルの国立中央博物館に伽耶古墳群の出土遺物が展示されていることに触れましたが、それに遜色なく、伽耶土器では初期の一時期に出現した器形、新羅をはじめとする朝鮮の土器類の中でも魅力ある品として分類出來るものかと思います。胴部からの立ち上がり、広口に至るまでの厚みを含めた輪郭は特に好ましく、繰返し眺めては暮らしています。

店内は什器入れ替えのため数日間間の抜けた空間になっていますが、伽耶二点、いずれも好んでいる小品を展示しています。その他諸般と併せてご覧下さい。

伽耶丸底形土器( 3世紀 )口径 7.8 cm – 高 8.3 cm / 御売約

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小銅鏡

出土した高麗鏡のように朽ちたり緑青を伴なう物ではありませんが、朝鮮の小型鏡を2種竝べてみました。

和鏡や中国の青銅鏡と較べて鏡背面の模様が素朴で、抹香臭さのない、生活様式から得た意匠を写したものと感じられるのが長所でしょうか。威厳はありませんが、その気取らない寛かな調子が好きで、何心なく目に入って嬉しいようなものを喜びの種と名づけているのですが、そこに当て嵌まると感じている小品です。

いずれも高麗鏡より時代の下がる物のようですが、平頭紐( 紐を通す孔 )が中央に配され、高麗より地続きの朝鮮らしい造りを保っています。

小銅鏡( 李朝時代 )
径 4.5 cm / 御売約
径 5.5 cm / 20,000円

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李朝黒釉片口

李朝時代後期には白磁の片口が作られますが、黒釉の片口と云うのは余り見られないのではないかと思います。漆工品のような、あるいは石工品のような形象からは丈夫さが取り柄と見えなくもなく、正円形とは呼べない歪みを伴った形や艶のある茶褐色がバランスの良い成因と思われます。

見慣れない物を手にすると嬉しい反面、一人で国を背負ったように不安にもなり、あらまほしきことかなと頼りないのですが、黒釉( 天目釉 )の壺が溢れるほどある事とは対極で、あるいは目に入るような魅力が他の物になかっただけなのかもしれませんが、器物全体を通じて魅力的な稀ものの器だと思います。

一箇所のみ薄いニュウが見られますが、ほぼ完品と云ってよい状態の好さを保っています。

李朝黒釉片口( 李朝後期 – 末期 )外径 17.2 cm – 9 cm / 御売約

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南方美術店 ( 12:30 – 19:00 )
世田谷・
二子玉川駅より徒歩11分 / 用賀駅10分

高麗薬匙

柳の葉形に作った匙と小さな蓮華を柄の先に象った薬匙です。一般的に見られる 砂張( さはり / 銅と錫などの合金 )の薄手な作りと異なり、銅味が強く、やや厚手な印象があります。高麗は朝鮮を指す言葉でもあり、時代としては李朝時代の物ではないかと思います。道具立てのひとつに用いたようで古裂に収められており、裂傷等もなく好い状態です。

高麗薬匙( 李朝時代 )約 22 cm / 売約済み

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別途送料(全国一律)600円/振込手数料がかかります。

南方美術店 ( 12:30 – 19:00 )
世田谷・
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