セザンヌについて リルケ / 妻への手紙

Rainer_Maria_Rilke,_1900

画家は自分の見解を意識してはならないのでしょう(一般に芸術家がそうなのです)。省察による回り道をとらないで、画家の進歩は、彼自身にも不思議なくらい、すばやく仕事のなかへ入りこんで、その推移の瞬間には彼もそれを認めることができないくらいでなければなりません。ああ、そこで進歩を窺ったり、観察したり、引きとめたりする者には、あるちょっとしたことが狂っていたので、もう金ではなくなってしまったあの童話のなかの金のように、進歩が進歩でなくなってしまう…(セザンヌについて リルケ / 妻への手紙)

世はなべて事もなし、雨風が強く、読書の捗った一週間でした。レコードの整理をしたり、月末のイベントの準備を考えたりしながら、本業そっちのけではなく、よいものを見つけたりもしながら。

4/13-14(月曜日-火曜日)は買付けのため店舗はお休みになります。4/25-26に開催される『京都ふるどうぐ市』参加のため、4/23-4/28までの六日間をお休みとさせていただきます。開催準備の荷造りもあるため、商品をご覧になりたい方は来週くらいまでにお越しになられるとよいかと思います。

南方美術店

世田谷・二子玉川駅より徒歩11分 / 用賀駅10分

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アンドレ・ジッド 『女の学校』

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夏の読書

フランス文学の中でもアンドレジッドの小説に夢中になっていた時期があって、ジッドにはまだ人が見知らない美しい何かを持っているような、しかもそれを論じたてずに、そっと物語の何処かに置いてくれているような気配というものがあったように思います。

ヘッセのように示唆の強い甘い物語ではなくて、ジッドにとって文学は演劇的な側面が大きかったのかもしれませんが、指南書として書かれるよりも物語(レシ)として創作されていることが、あまりにも端的に言葉で伝えられることよりも、この場合には返って明瞭にみえるものがあったと思うし、読者との関係性を垂直的なものにはしないという日常に則した態度も好ましいものだったように思います。

お勧めの作家は居ますか──と尋ねてもらうと、いつからかジッドと答えるようになったのは他の外国文学に比べて読んでいる人が少なく、それを挙げれば話が済むという横着者のずるずるした了見もあったのですが、本当を言えばむやみに本を読みたがる人というのがあまり好きではなくて、言葉はもらうと毒に当たる場合もあるので、実際の人生に色やつやを塗ってうわべのものにするよりも、ジッドの文学には余分なトリートメントを洗い流す自浄作用みたいなものがあるように思うから、勧めやすいというような理由もあるのです。

それで『女の学校』ですが、『女の学校 / ロベール』の二篇が収録されたものと、『女の学校』の一篇のみで刊行されたものとがあって、『女の学校』がある若い男女の女性側の視点から描かれた作品であり、『ロベール』はその女性が書き残した手紙だったか(あるいは日記だったか)を読んだ男性側からの視点について書かれたものだったと記憶しています。『女の学校』だけを読んだ時と、『ロベール』も読んだ後では物語の印象が随分変わります。『女の学校』にある読後感は、ある意味ではしばらく抱えていて欲しいもので、『ロベール』をすぐに読むことはせずに、少し期間を空けてから読むなどするのもいいかもしれません。

ヨーロッパ古道具骨董 アンティーク
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