地蔵仏 ( 懸仏 )

KJB1

春になると古美術や古道具の催事 / 企画展が催される。俄かに活気を帯びた人々の表情を他所に、そうしたことは余り意識せずに居たいと過ごしていたら、商品を紹介するでもなく、ドングリを隠すリスといいますか、大事なものを見せずに居たような具合になりました。ここではこれらの物から感じた空気の一端を手に取り見ていただく事で、その一部を少しでも共有して頂ければ嬉しいと思います。

掌にあずけて眇めなければその表情が上手く捉えられぬ小さな物ですが、穏和な面様は子供を守る地蔵仏ならではのものと感じられます。どんな風のない日でも枝が動くという具合に、穏やかに坐している姿をみることで心のうちで動くものを見る。信心というものには疎いのですが、こうした物から受ける印象に足止めされる事の意味が大事になり、やがて歳をとることの意味を考えるようになるように、意味を自分で考えなければならないことも次第に増えてきたように思います。

名づけかたの難しいものを大切にしてきた人々に接していると、そこに共通しているのは信じることに対して証拠を求めたりしないことなのではないかと思います。ちょうど言葉に信頼を寄せなくては、言葉と自分とが互いに隔てられたまま進行してゆくように、物が背景のまま過ぎてゆくことがない。形態にこだわったり、意味の文節行為によって遠ざかってしまうのではなく、物を前にして向き合う姿勢にはいつも感銘を受けます。以前にお子さんを連れた若いご夫婦が、更紗の生地に包んだ懐中仏を持っておられて、自己満足だけれど、と言いながら控えめな仕草で包みから出してくれたのも、袈裟を一着に及んだやさしいお顔の地蔵仏でありました。

懸仏というのは壁や柱に掛けるものとされますが、小さなものは衣類や兜に結んだものもあると訊きます。背面の結び目になる金具が外れてしまっているので、掛けるためには少しの工夫が要ります。壁という 《 面 》 より、柱に掛けることで所得るように思います。懸仏の場合、お顔が気に入ったものでなければどうしても親和感というものが得られないと思います。気に入る方がおられましたら持って頂けましたら幸いです。

地蔵仏 ( 懸仏 ) 3.7 cm × 2.5 cm / 売約済み

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南方美術店